社長の器
今日は、夏休みなので、少し過激なことを書きます。
購読している日経トップリーダー
8月号は「社長の器」という特集でした。
その中の記事で、興味をひかれたのが、神戸大学の加護教授が書いた記事。
社長は政治のリーダーとは違う
というくだりです。
加護教授曰く、「ここ最近、日本の社長の器が小さくなってしまった」
では、日本の社長の器を小さくしているものは何か?
それは、周りが「説明責任」を求めるようになったことだと。
「なぜ、この時期に投資をするのか」
「どうして、この技術を開発するのか」
社長が何かを決断すると、周りは小うるさく説明責任を求める。
明確な答えが返ってこなかったり、回答が論理的でないと、「説明責任を果たしていない」と非難する。
場合によっては、社運を懸けた決断でも風向きが悪いと従業員も非難する。
これは、おかしいのだと。
“政治のリーダーと会社のリーダーは違う。
政治家は有権者に選ばれた人だから、どういう考え方で何をするかを逐一説明するのは義務だ。
一方で、経営者は結果に対して責任を果たせばよいのである。“
更に記事は続きます。
“重大な意思決定をするときの心境は合理的に説明できないものだ。
結婚を考えるといい。
「なぜ、その人と結婚したのか」と聞かれても、突き詰めれば自分でもよく分からない。経営とはそういうもの。合理的な判断は部下がする。経営者に求められるのは非合理の決断だ。
以前、パナソニックの役員に「なぜ御社はプラズマを選んだのですか」と単刀直入に聞いたところ、「先生、そんなん気合ですわ」と答えた。
最初は冗談かと思ったが、それは事実なのだろう。
どちらに進むか、判断の材料は嫌というほど集まるが、最終的には経営者が感覚と「気合」」で決める。
知的で冷静なことが「社長の器」ではないのだ。“
まさにそうですね!!
社内でも社外でも周りにいませんか?
社長が何かを決断しても、批判しかせず動かない人(しかも古参社員だったりする)やデメリットやできない理由ばかりをトクトクと説明する人は置いてゆくくらいの勢いが必要です。
経営者は結果がすべてです。
結果を出すために、一見非合理とも思える決断をする時があるのです。
論理や理屈で経営がうまくゆくなら、大学教授でも経営できる(笑)と加護教授の記事は続いています。
一見、不合理な決断もしなければならないこのご時世、気合を持って経営していれば付いてくる人はいるし、結果も見えてくるでしょう。自信をもって経営しましょう!
今日の記事は、経営者に自信を持ってもらうための応援ブログです!
2010年8月13日